ヒカンザクラに彩られた島尾敏雄文学碑

島尾敏雄文学碑

島尾敏雄文学碑

今月は加計呂麻島へ行く機会が多く、昨日までに4回行ってきました。すべてツアーです。

呑ノ浦の島尾敏雄文学碑の手前にあるヒカンザクラが満開になっていましたが、写真を撮りそこねていて先日、ようやく撮影しました。ピークはちょっと過ぎていますが、鮮やかなヒカンザクラのピンクが文学碑を彩っています。

加計呂麻島へご案内するお客さんは寅さんの撮影地としてご存知の方は多いのですが、残念ながら島尾敏雄さんをご存知の方が少ないです。

加計呂麻島での特攻隊隊長としての戦争体験を元にした小説が多く、1986年には亡くなられていますので、若い世代の方にはご存知の方が少ないのは仕方ありません。

しかし、私個人の考えではありますが、奄美大島を紹介してくれた方として、奄美の自然を絵に描いた方が田中一村さんであれば、その前に奄美を文章で紹介してくれたのが島尾敏雄さんだと思います。

単に小説家として戦時中の奄美の暮らし、そして奥さんの精神疾患により昭和30年から20年間住んだ名瀬(現在の奄美市名瀬)の暮らしぶりなどをエッセイとして伝えてくれていますし、名瀬で暮らしている間に地元郷土研究家の方を集めて郷土研究会を立ち上げ、まとめてくれた資料が現在の奄美を紹介する元となっています。また、沖縄の日本復帰にも影響をあたえたヤポネシア論も島尾敏雄さんです。

島尾敏雄さんについては奄美図書館がリニューアルした際に立派な島尾敏雄コーナーが設置されましたし、奄美博物館にも、瀬戸内町図書館・郷土館にも島尾敏雄コーナーがあります。

ところが奄美群島の情報発信基地である奄美パークには田中一村美術館がありますが、島尾敏雄さんに関する展示はなく、奄美図書館などの島尾敏雄コーナーの紹介もありません。

単に自然や歴史の紹介だけでなく、その紹介する資料の元をまとめあげてくれた島尾敏雄さんの紹介も奄美パークに欲しいと思うのですが、いかがでしょうか。

ちなみに不思議な数字ですが、田中一村さんが奄美に暮らしたのが19年間で島尾敏雄さんは20年間とわずか1年違い、そしてお二人とも亡くなられたのが69歳の時です。

加計呂麻島でのその他の花々はこちらから。

今朝に金作原も色んな花が見れました。

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