唄者 築地俊造自伝

自伝 築地俊造自伝 楽しき哉、島唄人生

自伝 築地俊造自伝 楽しき哉、島唄人生

1979年(昭和54年)に「第2回 日本民謡大賞」で奄美から初めて民謡日本一となった唄者・築地俊造さんが今年4月に逝去されました。

築地さんご自身で自伝を書いてらっしゃったようで、「唄者 築地俊造自伝 楽しき哉、島唄人生」として南方新社から発行(7月14日)されることになりました。

2年前には鹿児島大学の梁川教授が利き手・校正としてお手伝いし、逝去される直前に編集・校正も終了していたようです。

付録CDには民謡日本一となった「マンコイ節」、2011年に行われたバンドとの共演ライブが収録されています。

築地さんが目の前で語ってくれるような優しい文章で、シマ唄との関わり、そしてシマの暮らしがつづられています。

発行日前まではお得な購入方法もあります。ご希望の方は「お問い合わせ」よりご連絡下さい。

以下は個人的に「シマ唄」に関わっている者としての本書の感想です。違う意見もあるかもしれませんが、ご容赦下さい。

奄美のシマ唄は、シマ=集落の唄という意味、という解説が多いのですが、現在では大きく、カサン唄(北部)とヒギャ唄(南部)に分かれていて、ライブや大会など舞台など、多くの人の前で唄われる唄のほとんどがヒギャ唄です。

そして、そのスタイルも戦後、瀬戸内町の福島幸義さん・武下和平さんらが舞台で唄うようになったスタイルが最初だと思います。その影響を受けたであろうカサン唄の名手が南政五郎さん・泊忠重さんらです。個人的にこれがシマ唄が舞台化した第1世代ととらえています。第2世代ともいうのが坪山豊さん・築地俊造さん、それに続いて西和美さん・当原みつよさんら。第3世代が元ちとせさん、中孝介さん、それに続く若い世代です。(他にもたくさんの有名な唄者がいるのですが、割愛します。おおざっぱで、すいません。)

本書では築地さんが生まれシマである川上で親の唄・三味線を聞きながらも、名瀬に出てきて福島幸義さんの唄・三味線を習い始めるところから、ご本人のシマ唄人生が始まったそうです。南政五郎さんとの関わりも触れられています。そして、坪山豊さんとの出会い、西和美さんらとの海外公演、若手との共演。まさに第1世代と第3世代(というか現在までを)繋いだ、変化していった方です。

築地さんご本人は1979年(昭和54年)「第2回日本民謡大賞」で民謡日本一になった時に「僕は日本一にはなりましたけども、島に帰ったら十本の指にも入らないような唄者です。」とお話されたことが有名で、よく「日本一にはなったけど、シマ一番ではない。」というような表現で紹介されていて、てっきり、それぐらい奄美のシマ唄のシマ=集落へのこだわりを表現しているものだと思っていました。

ところが、築地さんご自身は親元から離れ中学生から名瀬の町で暮らし、本格的にシマ唄を始めるときには、あちこちのシマ(集落)の人と遊んでいたから、本物のカサン唄ではなかったと語っています。ご自身の唄がシマ=集落の唄ではなく島唄、奄美大島の唄だと認識しながら唄をされていたんですね。正直、驚きでした。

シマ唄ではなくて島唄だと認識の上で、いろんな挑戦、改革を行っています。三味線を立って弾くスタイルをはじめたり、バンドと共演したり、新曲や替え歌だったり。構成の梁川さんは改革者と表現しています。

戦後のシマ唄を巡る様々な変化も知ることができる本です。シマ唄ファンの方だけでなく、以前ご紹介した奄美大島の近代史の1面を知る本としてもお勧めです。

 

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