「あやまるのうた」
松山美枝子
JAB-23 \2,500(税別)
あやまるの海に懐かしい唄が響く。
笠利(カサン)唄の真髄を伝える唄者・森沢信弘・と森重則を迎えた松山美枝子、待望のファースト・アルバム。
収録曲
あさばな節
ヨー加那節
俊良主節
請くま慢女節
嘉徳なべ加那父子
うらとみ(八月踊り唄)
うらとみ
ヨー加那くずし
よいすら節
でんなご節
儀志直節
長雲節
松山美枝子(まつやまみえこ)
奄美大島・笠利町須野出身。八月踊りやシマ唄に囲まれた環境で育つ。「母が歌っていました。須野の唄者・恵純雄さんが母とよく唄遊びをなさっていましたが、そのときは自分がシマ唄を歌うとは思っていませんでした」神戸を訪れていた29歳のとき、大阪に向かう車の中で転機が訪れる。車の中で流れていた笠利町崎原出身の唄者・上村藤江さんのテープを聴いてシマ唄に魅せられ、毎日のように聞き返して3ヶ月ほどですべて歌い覚えた。その後、神戸に住む上村藤江さんのもとに通い、彼女を師と仰いで手解きを受けた。昭和50年代に入って「奄美民謡新人大会」(南海日日新聞社主催)に出場、その後「奄美民謡大賞」と改められた同大会に出場して多くの賞を受賞。平成11年に開催された第20回「奄美民謡大賞」大会で大賞を受賞した。現在、名瀬市で割烹「吟亭」を経営しながらシマ唄を歌い続けている。
森沢信弘(もりざわのぶひろ)
大正12年5月21日、奄美大島・笠利町用生まれ。両親や親戚が歌うシマ唄を聴いて育ち、19歳の頃からシマ唄を歌うようになった。昭和19年、21歳で入隊。台湾の高雄に工兵隊員として赴き、そこで終戦を迎えた。奄美に引き揚げたあと、本格的に唄三味線を始める。昭和35年、名瀬市に出て紬関係の仕事に就きながら唄三味線に磨きをかけた。用集落の古いシマ唄を歌う貴重な存在。
泊重則(とまりしげのり)
昭和7年1月6日、奄美大島・笠利町佐仁生まれ。17歳の頃から笠利各地に住む唄者を訪ねて三味線を習得。26歳で名瀬市に出て紬関係の仕事に従事。この間、シマ唄から離れていたが昭和40年頃から再び三味線を手にして笠利に伝わる古い唄を歌い始めた。シマ唄大会には出場せず、志ある者同士でシマ唄を継承している存在として知られる。
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